受け入れて認める、起こることを全てを愛するだけしかないんだ。【ワンセルフDIO】
2014年04月12日(土)
わたしは「ワンセルフDIO」を立ち上げました、このワークの中では私がいつも思っていたことを次々にカタチにして世界に発信していきたいと思っています。
これは多くの人の観念をもしかしたらひっくり返してしまうかもしれない。
でも、私たちの世界の構成している思考の働きや物事の見方はもっとざっくりシンプルでシンプルで究極的にシンプルだとしたら。。?
今こうなっている不満な原因はどこからきて、どこへ向かい、私たちは未来将来どうなってどうあるべきなのか?どうなっていたいのか?
思考はとても複雑に絡み合っていて混乱し、見失う。
どうなっているのか?混乱し自分が分からなくなる。
原因さがしをしていてどうなるのか?見つけたとしてもそれは本当に確かな原因だったのか??
ただ起こったことに対して原因を見つけ出したつもりになって単に自分がすっきりしたいだけでは?
意味を付けて安心したいだけでは?
物事が起こったことに対してただあるがままを受け入れることが出来ないでいることが、多くの人の執着だったり長く苦しむ理由になっているはず。
わたしもそうだったし、これからも混乱し自分を見失うかもしれないし、どうなるかまだ先はわからない。
いつも人が私に自分を取り戻すための課題をみせてくれる。仲の良かった友達にむかつき腹が立ちわたしはこの原因がどこにあったのかを何ヶ月も探し続けた、時間がたち見えてきたことは、原因なんて一つではなかったし理由なんて結局色んな感情が混じり合い起こった出来事だった。
今となっては理由とか原因とかどうでもいい。ただそのことで私が受け入れ認め理解したのは、「ただそれが起こった」。
「ただそれが起こった」それだけ。
そこにこれはこう、これはああだ、きっとこうだとか、多くの人が議論したがる。疑問をそこに生み出し解決するのに必死になる。
違う。そうかもしれないしそれではないかもしれない。
なにを導きだしたとしてもそれは一つの見解にしかすぎない。
事実はなんだろう?真実はどれだろう?
きっとどれでもない。
ただ「それが起こった」以上。それだけだよ。
そこに怒りや悔しさや悲しさがあるならば、その感情すらも「ただあるだけ」だ。
そこにその感情にどうこうする必要もない。
ただ起こっていることの全てを認めてただ全てを愛してあげるんだ。
なにをどうする必要もないよ。
友達を傷つけたかもしれないし、傷つけられたかもしれない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
ただ言えることはそう感じている私の感情が「ただある」ということ。
それをどうこうしてやろうという気持ちが芽生えたならば、その「どうこうしてやろう」という感情がまたそれも「ただ単にある」っていうそれだけのこと。
シンプルにシンプルで究極的にシンプルすぎて多くの人がこのトラップで彷徨い抜けることが出来ず、自分に還ることが出来ないでいる。
私はこのトラップに気づいた。
だからこうして話し、伝え、自分自身も彷徨いの中からもう一度本来の元に返ろうと望んでいる。
私は完璧ではない、きっとかなり悩み苦しみ彷徨い続けた。だから本当に安心することや安全であることや、幸福を感じることが出来るものに憧れを抱いた。
どこがその場所なのか??全てがあるがままで美しいことを知るとなにも変えようとはせず、そこにいればいいことを知るのだと思う。
もっと自由になり、たくさんの人をこの場所に案内したい。
これが私が「ワンセルフDIO」にかけた想い。
ただあるがままでいいことを知る道のりなんだよ。
ありがとうと言葉でただ出てくる場所に還る。
人生は楽しいものだなって素直に言えるようになるんだ。
これが生き甲斐で人生を通じて生涯を通じてわたしはきっとこの想いを持ち続けるだろう。
人生を楽しむ為に生きてもいいし、苦しむために生きてもいいし、悲しく生きてもいい。
どれであってもいいんだなって。
今私はこの世界を地球を楽しもうと思っています。
美しくて綺麗なテーマパークを目の当たりにしています☺︎
それが今の私に見えている世界です。